蘭野球事始 ~オランダ野球風説書~

自称日本一オランダの野球に詳しいブログ

オランダ野球観戦記 @アムステルダム

2013-12-27 23:51:24 の記事です。

 いつもは、オランダ野球における現状のリポートや紹介を記事にしてきました。が、今回は実際にオランダの野球場を訪れた時の事を、観戦記という形にしようと思った次第です。最後まで読んでいただいたら幸いです。



 今夏、私はオランダ南ホラント州のとある田舎町にホームステイしました。町の名前はリールダムと言い、ガラス製造の街として著名であります。実際に家があるのはニーウラントという地区です。周りは見渡す限り牧草地が広がっていて、牛が呑気に草を食しています。今回のステイは二回目でしたので、自由気儘にオランダライフを満喫しました。アムステルダムはもちろんのこと、長崎ハウステンボスのシンボルタワーの由来となったダム教会を見に、古都ユトレヒトを訪ねたりもしました。食事はカトリックやアジアの要素も入っており、大変充実しています。

 

 さて、そろそろ本題に入ります。2013年8月31日、オランダ野球リーグ・ホーフトクラッセポストシーズンに突入していました。ファミリーとの交渉の末、長年の念願かなって、私はL&Dアムステルダムパイレーツ対コレンドン・キンハイムのプレーオフ第2戦を見に行くことができるようになりました。試合会場は首都アムステルダムの西郊外に位置するオークメールスポーツパーク。パイレーツのホームスタジアムです。

 アムステルダムまでの交通手段は電車と、トラムという路面電車です。出発はリールダム駅から。ファザーから、「ホンクボル(野球)楽しんでこいよ」と言われ電車に乗り込みました。ここからは完全に一人の旅です。車窓からはオランダのどこに行っても見られるような広大な牧草地が広がっています。ついにオランダの野球が見られるドキドキワクワク感とともに、果たして無事にたどり着けるかどうか、との不安感もありました。なぜなら、電車を二回乗り継ぎしなければならないからです。一回目の乗り継ぎは小さな駅でしたので、何事もなくやり過ごすことができました。二回目の乗り継ぎ駅はユトレヒト中央駅です。降りたとたんその大きさと複雑さに圧倒されました。その、複雑さのためほかのオランダ人たちと共に一便乗り損なってしまいました。次の便で無事アムステルダム中央駅に到着しましたが、試合開始に間に合うかは微妙な時間です。運良く、着いてすぐにトラムに乗ることができました。社内の車掌さんからチケットを購入して、窓際の席に座りました。試合開始は午後2時。車内の時計は1時35分を指しています。到着まではおそらく30分程度かかるはずなので、ほんとに微妙な時間です。アムステルダムの美しい街並みを抜け、窓の外は住宅街の様相になってきました。目的地の最寄駅に到着。時間はちょうど2時頃です。後は、一目散に球場めがけて走りました。そこには何度もグーグルアースやストリートビューで見てきた景色が広がっています。早く着きたい焦りとともに、何とも言えない嬉しさがこみ上げてきました。スタジアムのスタンドが見えてきました。あと少し。息も絶え絶えに、入場ゲートで7ユーロを払い、ダッシュで階段を上りました。コインを一枚落としたようですが、そんなのにかまってられません。登りきると、そこには夢にまで見てきた光景が広がっていました。幸いにも、まだ1回の裏1アウトでした。バックネット裏の前から2番目の席に腰を下ろしました。想像していたよりも、グラウンドが広く大きく感じられました。

 両チームのスターチングメンバーはこちらです。

CORENDON KINHEIM starters:

8/cf DRAIJER;

25/ss CREMER;

28/rf KLOOSTER vt;

37/dh ENGELHARDT B;

33/1b ARENDS;

2/3b GARIO;

11/c BALENTINA;

21/lf CUBA de;

6/2b SELTENRIJCH;

15/p VELTKAMP

 

L&D AMSTERDAM P. starters:

1/cf HENRIQUE;

6/2b HATO;

23/rf JONG de B;

26/dh ISENIA;

10/1b BERKENBOSCH;

25/3b GERARD;

4/c NOOIJ B;

31/lf CONNOR;

8/ss DUURSMA;

12/p HEIJSTEK

 

 客席は日本にいるときに写真で見て想像していたのとほとんど一緒。日差しがあたってサイコーに気持ちいい。選手が打席に入る時など事あるごとにスタジアムDJがイカした声でアナウンスします。選手それぞれに登場曲があるのも日本のプロ野球と全く同じです。今シーズンの首位打者、バス・デヨングがいきなり三遊間深いとこに内野安打を放ちました。さすが。しかし、後続が打ち取られパイレーツは無得点に終わります。キンハイムの先発フェルトカンプ、かなり調子が良さそうです。今季10勝を挙げただけはあります。一方のパイレーツ先発ヘイステックは移籍初年度の今年、防御率は1位に輝いたものの、中継ぎも経験するなど、勝ちきれない一年になりました。それを体現するかのように、2アウトから連打を浴び、先制を許してしまいました。好投手との投げ合いにおいて、このように先に点を献上してしまうのはエースの姿ではありません。しかし、このイニングの最後のデクーバ(WBCオランダ代表)を三振に取った大きなカーブは、非常にいいボールでした。このボールをもっと生かした投球ができるようになると、エースの座もより近くなるはず。

 3回裏のパイレーツの攻撃、戦闘のエンリケが内野安打で出塁し、続くハトはバントを試みました。打球は一塁線のほうに転がりましたが、惜しくもファールになったかのように見えました。が、それを主審はフェアと判定し、慌てて処理した一塁手はなんとか打者走者をアウトにすることができましたが、エンリケはその隙に三塁を陥れました。これに激怒したキンハイムのレミンク監督がベンチを飛び出します。審判は問答無用と言わんばかりに、すぐさま退場を宣告しました。あっという間の出来事でした。その後もキンハイムのナインが抗議を続けましたが、判定は覆らず。クロースターは不満げな様子。監督は納得しない様子で退場していきました。

 試合再開直後、初球をデヨングがレフトへ大飛球。惜しくもファールでしたが、思わず立ち上がってしまいました。この興奮が野球だ、そう思えました。結局この回にパイレーツが追いつき試合は振り出しに戻りました。ベンチに引き上げたフェルトカンプがグラブを投げつけたような大きな音が聞こえてきました。調子がいいだけに、不運な失点がよほど悔しかったのでしょう。

 チェンジになったのを機に、スタンドの上まで登ってみました。スタンドを登ったところには出店とバー、トイレとちょっとしたミュージアムがあって自由に見学することができます。トイレへの通路の壁がショーケースになっていてパイレーツが現在に至るまで受賞してきたトロフィーなどが飾ってあります。その数の多いこと多いこと。監督のシドニー・デヨングのユニフォームも飾ってありました。喉が渇いたのでビールを買いました。やはり最高。野球のお供はビールに限る。

 立ったまま、試合を眺めているとオランダ代表キャップをかぶった老人に声をかけられました。アジア人が同じキャップをかぶっているのを、不思議に思ったのでしょう。東京で買ったと答えました。彼は、この試合に右翼手として出場しているデヨングからもらったのだ、と自慢げに話してくれました。そしてそのまま何処かへ走っていってしまいました。違う場所から試合を見たかったのでしょう。やはり、どこの国にも野球好きのおっちゃん、というのはいるのですね。

 パイレーツは5回にもイセニアの犠牲フライで一点を追加します。ベルケンボスフもレフトへ大飛球を放ち観客を沸かせます。しかし、7回、キンハイムはノーアウト満塁のチャンスを作ります。デクーバが右中間に価千金の逆転タイムリーを放ち3-2に。パイレーツは最終回もランナーを出しますが、ベルケンボスフの強烈なライナーも三塁手ガリオがジャンピングキャッチ。ランナーも飛び出してしまいダブルプレーに。試合終了。観客は立ち上がり、拍手を送ります。僕も感謝を込めて拍手を送りました。

 試合後、選手たちはグラウンドの外で家族と団欒していました。これはサインをもらう絶好のチャンスだと思い至り、遊撃手のデュルスマにサインを求めたところ、快く応じてくれました。一生の宝物です。帰りの電車も迫っていたので、長居はできません。名残惜しみながらも早足で球場を後にしました。

 帰りの電車の中での一日の充実感。誰かに話したい気持ちでいっぱいでした。ひとつ夢を達成した気分でした。うまく言葉にはできないと思います。長年恋焦がれていた場処に実際に行くことができた達成感。そして、そこには日本と同じように野球を愛する人々がいたという事実を、真実として知れたことが嬉しかったのでしょう。そこでの楽しさは言葉にする必要はないと思います。私はその時、生きているという当たり前のことを感じました。生き甲斐とはこういうものなんだと。野球観戦とはそういうものではないでしょうか。野球は私の生き甲斐だ。