蘭野球事始 ~オランダ野球風説書~

自称日本一オランダの野球に詳しいブログ

オランダ球界へ挑戦する日本人へ、インタビュー ‐中編‐

2015-02-22 23:41:30 の記事です。

 

前回に引き続き、オランダ野球・ホーフトクラッセで正式契約を目指し、スプリングトレーニングに参加中の岩本選手にお話を伺いました。

--日本で社会人野球を経験した後に、オーストラリア、アメリカと海外でプレーされています。どうして海外だったのでしょうか。

「当時所属していたゴールドジムのチーム関係者が、オーストラリアのチームと関係がある方がいらっしゃいまして。私自身20代も後半に差し掛かり、野球人生で行き詰まりを感じていた時に、『環境が変わればまだやれるんじゃない?』と言われたのがきっかけでオーストラリアに渡りました。」

--実際、行き詰まりは払拭されましたか。

「そうですね。その当時はあまり感じませんでしたが、今もこうしてオランダで野球を続けてられているので、結果道は開けたのかな、と思っています。」

--と、いう事は色々と新しい発見、気付きがあったのでしょうか。具体的に学んだ事、気付いた事を教えて頂けますか。

「新しい発見は、戸惑いと似た部分を含みます。その意味で、全てが新しくで最初はとても苦労しました。まさに右も左もわからない状態と言いますか。リーグはシドニーのローカルリーグだったのですが、当時創設1年目のABL(オーストラリアン・ベースボールリーグ)所属選手がオフを利用して多く参戦していました。オーストラリアトップクラスのピッチングを、目の前で直接見せてもらい、参考したのと同時に多くの刺激を受けましたね。」

--実際の練習環境はどうでしたか。

「例えば、練習時間の短縮ですね。練習時間の中で占めるアップ時間の短さなどは、日本とは大きく違う部分でした。」

--その次にプレーされたアメリカはいかがでしたか。

「オーストラリアの頃は、本当に色々な意味で追いつめられていましたね。野球面も言葉がわからない、生活面もお金もない、という状況で。でも2度目のアメリカでは、その辺りがあまり気にならなくなっていて。実際の状況はオーストラリア時代と変わっていなかったと思いますが、おそらく慣れでしょうね。場数を踏めば踏むほど、海外生活というのは慣れてくるものだと実感しました。」

ーーそしていよいよ、ここオランダに来るわけですね。

………後編ではオランダに来たきっかけ、オランダ野球の特徴などを伺います。この続きはまた後日。